
そこに愛はあるんか?
皆さま、こんにちは。
本日は、皆さまに私の最近の気付きをシェアをしたいと思っております。
ある日、私は睡眠時間が足りておらず、朝ご飯も食べれずに家を出ました。
その日は連日の疲れからか、頭の中で冷たい先生の声がずっと響いていました。
日々を過ごしていると、偶に冷たい先生の声がすることはあるのですが、その日はいつにも増してかなり冷たく、絶対零度くらいの「正論」が頭の中で止まりませんでした。
最初は、その正論を「うんうん、そうだよね」と反省しながら聞いていました。
しかし、そうやって暫くその正論を聞きながら出勤していると、だんだんとモヤモヤしてきました。
このモヤモヤを感じた時に、私は自分のインナーチャイルドが冷たい先生の正論にとても傷付いていることに気が付いたのです。
それに気が付いた瞬間、奥底からとてつもなく強い怒りが湧き上がってきました。
強すぎて自分でも驚いたほどです。
それでも、この怒りを抑え込もうか?どうしようか?と一瞬迷いました。
なぜなら冷たい先生の言っている内容は、もっともらしい正論で、それを聞いて実践していくことが自分にとってより良いことを頭では理解していたからです。
しかし同時に、「疲れていてヘトヘトの子供を一方的に理詰めしている大人」という構図のイメージが出てきました。
私はその様子を客観的にみた瞬間、
「そこに愛はあるんか?」とかの有名なCM のフレーズを叫びたくなりました。
実は、私はこのフレーズが大好きです。いつも行動に迷ったときにこの言葉を自分に投げ掛けると、すべきことが見えてくる、私にとって大切な言葉です。
同時に「そうか」と腑に落ちた瞬間でもありました。
疲れた子供を正論を浴びせて理詰めしている大人のその言動には、「愛」は感じられない。
そして、子供の自分は「そこに愛はない」ということに怒りを感じていたということを。
私達はいつも、頭で正しい、間違っているを判断しようとしてしまいますが、この世に正しい間違っているというものは本当はなく、愛の純度の違いがあるだけなのではないか。
そして子供の自分は、本来その純度の違いにとても敏感で、判断基準があるとしたら愛を基準にしているのだと感じました。
その結論に自分の中で至った結果、私は子供の自分の怒りを爆発させることを、自分に許すことができました。
許したので、気兼ねなく怒れました。
頭の中で、インナーチャイルドが冷たい先生に向かって強く、反抗した瞬間でした。
インナーチャイルドの感情に任せ、「うるさい!正しいとかこの際どうでもいい、そんな傷つくようなことを言ってくるお前の言うことなんか知らない!黙れ!!そして、さっさとどこかへ消えろ!!」
そう、心のなかでとても強い口調でありったけの怒りを爆発させて、冷たい先生に全部をぶつけました。
すると、その瞬間にずっと朝から響いていた声は、嘘のようにピタリと静かになりました。
一切うんともすんとも声は聞こえなくなり、頭の中がとても静かになりました。
その日以降、私はその日ほどの冷たい、絶対零度のような先生の声は1度も聞いていないです。
また、冷たい先生が何かを言いかけるととたんに強いインナーチャイルドが出てきて全力で反抗しにいくので、
冷たい先生の立場がなくなってしまったのか、あまり出て来れなくなったみたいでした。
私はこの経験を通して、子供の自分の判断基準があるとしたらそれは「愛の純度」なのだと腑に落ちました。そして、その気付きは冷たい先生を静かにさせるのにとても役立っています。
皆さまもぜひ、冷たい先生の声が聞こえてきたら
「そこに愛はあるんか?」と問いかけてみてください。
子供の自分がちょっとでもモヤモヤしたり、怖がっていたり、怒りを感じていたら丁寧に感じてあげて、この言葉を投げかけてみてください。
私達は愛を考えるというより愛を感じますね。
考えることが得意な頭よりも、感じることが得意なインナーチャイルドのほうが、確実に愛を知っています。
きっと皆さまのインナーチャイルドが出した答えが
一番の指標になるかと思いますので、ぜひ丁寧に聞いてみてあげてほしいです。
そして、その答えを大切にして、自分にその時に出来る行動で、自分に対する愛を示してあげてください。
皆が正しさではなく、愛の純度を判断基準にして行動するようになった世の中は、今よりも少しだけ良いところになるとは思いませんか?^^
私の気付きが少しでも、皆さまのお役に立てましたら幸いです。