
気が重いことを我慢しないで進み続ける

ある時、私はある集まりに出席する予定がありました。それは私にとって、いつもの日常から一歩踏み出すような、楽しみだけど少し緊張するような予定でした。
でも、その日が近づくに連れて楽しい気持ちは微塵もなくなり、わたしの心はだんだん重くなってきました。
「不安だ。どうしよう。嫌だ。行きたくない。」
湧き上がる度に感情を味わい、心の中でダダコネをしました。
昔のわたしだったら、「じゃあどうする?我慢して行く?我慢せず断る?」と、すぐ行動と決断に意識を向けていたと思います。
でも、普段から散々人に「感情が湧いたらとにかく共感・肯定・ダダコネですよ!」と言い続けたおかげもあるでしょう。
「行くか行かないかは今どうでもいいのだ。香峰子ちゃんが嫌だという感情を出している。そのことが何より大事なのだ」という感情優先グセがすっかり身につきました。
予定の当日になると、気持ちはいよいよ重くなりましたが、不思議と行かないという選択肢は自分の中にありませんでした。
だからやっぱりずっとダダコネをしながら、約束の場所に向かいました。
我慢して行くのでもなく、我慢せず行かないのでもなく、「我慢せずに行く」という第三の道を選択したわけです。
向かう途中でも、まるで行くのを邪魔するような嫌なことが起こりました。
昔のわたしだったら、「あぁ、やっぱり行くべきじゃなかったのか?わたしの選択が間違ってるのかも知れない」とグダグダと考えて悩んたはずです。
しかし、その時も、今ここ自分に意識を集中させ、
「あ〜嫌だ〜。ゆったりしたい。ホッとしたい。」と目をぎゅっとつむってしみじみと味わいました。
すると、その嫌なことはすぐ解消してしまいました。
そして実際到着してみてびっくり。
本当に全ての気の重さが吹っ飛ぶほど、ひたすら楽しく、しかもそこからわたし自身の人生も、その場にいた人たちの人生も、全てが開く転機になるような素晴らしい価値創造の時間になったのです。
あっという間に時間が過ぎ、帰り道では「あ〜最高!」と言いながら歩いていたほどでした。
そしてしみじみ実感したのです。人生では、本当に重要な、人生が開く転機になるような機会や、行くと素晴らしい価値が生まれるような時に、なぜかいつも以上に気が重くなることがよくあるのです。
まさに、進むべき時ほど進ませまいとする働きが自分の中に起きると言う感じです。
だからこそ皆さんも、気が重くなることがあったら、決断する前に時間の許す限りダダコネをしてみてください。
その上で、温かい先生となって「本当にどっちでもいいよ」と寄り添ってあげて、あとは子供の自分に任せてみてください。
本当に「よし!やめよう」と言う気持ちが湧いてくるかも知れないし、「いや、でもなんかやめたくはないな」と感じるかも知れません。
その中でどちらを選ぶとしても、自分に向き合うことを忘れない限り、私達は前進し続けていけるんだと思います。