コミュニケーションを取るということ


2023年5月15日号
 リライフアカデミー講師・公認心理師 本宮先生

こんにちは。リライフスタッフの本宮です。
私達は日々、色々なところで色々な人と色々なコミュニケーションを取って生活していますよね。
そのコミュニケーションの際につい遠慮して、つい我慢して、自分の考えていることや気持ちを伝えることができなかった、そんな経験はありませんか?

リライフアカデミーのコミュニケーション講座の中でも伝える練習をするのですが、参加者の皆さんに、伝えることをためらうのはどうしてでしょう?と質問をしてみると、皆さんそれぞれの思いを聴かせて頂くことができます。

例えば
・相手を傷つけてしまうのではないかと思うとためらう
・話しかけて嫌な顔をされたらどうしよう
・頼まれたことを断ったら嫌な思いをさせるかも
・わかってもらえなかったらどうしよう
・つまらないと思われないかな
 等。

お一人お一人様々な思いがあるのですよね。
ただ、そういう思いも、私がどうしてでしょう?と質問したときに皆さんお一人お一人が言葉にしてお話してくださったからこそ伝わるもの。

自分と相手の間にテーブルをイメージして、そのテーブルに自分の考えていることや気持ちをのせてみる。相手が話したこともそのテーブルにのせてみる。そして、お互いに「なるほど〜」と、自分の伝えたいことはこれで、相手はこんなふうに考えてるのかと眺めてみる。

そして大切なのは、自分も相手も、育ってきた環境も、体験してきたことも、価値観も違う人だからこそ、考え方も感じ方もピタッと合わないのは当たり前!だからこそ、テーブルにのせてお互いの考えや気持ちを眺めてみればいい。
そして、例え相手に嫌な顔をされることがあっても私自身の価値は少しも変わらない!ということを知っていること、なのですよね。

自分の考えや気持ちを人に伝えようとするとドキドキするし緊張する。その自分のインナーチャイルドの声にもしっかり耳を傾けて、寄り添ってあげましょう。
そして、これからも仲良くしていきたいなぁ、関係を続けていきたいなぁ、大切な人だから伝えたいなぁと思う人には、大切な自分自身の考えや気持ちをテーブルに出して一緒に眺めるつもりで伝えてみるといいかもしれませんね。

本宮
 
ご感想ありがとうございます。以下にご紹介します。
*頂いた感想全てを掲載できないことをご了承ください。
 

 
気持ちをテーブルの上に出して一緒に眺めてみる。
すごくいい表現というか、方法だなぁと思いました。
私は子どもたちにもっと伝えたいことがあるのに、なかなかできない部分がありました。子どもに嫌われたくないとか、波風起こしたくないとか、そんな気持ちがあったんだと思います。でも、今度は先生の言われるような感じでやってみたらできそうだな、と思いました!
 


 
ここ最近、心を許して話せる友達といえる人が少なく、もう一歩、友達といえる人を作りたいなぁと思ってました。
その時に、同じテーブルの上に、自分の思いを乗せてみること、とあり、でもそれは、少し勇気がいりますね。
何とも思ってくれてなかったらとか、私ほど思ってくれてなかったりすることを考えてしまって。
でも、勇気をもって、親しさのある人から、もう一歩深く人間関係が作れていけたら、良いなぁと思い、テーブルの上に、自分の思いをのせてみようと思いました。

 


 
毎週楽しみにしています。最後の   テーブルのうえに乗せてみる…   もし違っていたら申し訳ないのですが、私の場合、ついお人好し(外に向く)になりがちなので、テーブルの上に置くように確認することがまま、あります。ほんとにそうしたいの?って、確認した上で例えばアドバイスしたり、サポートしたりするようになりました。内道することがあやふやだったときは、ついやりすぎてしまう。で、相手とは価値観が違うことに打ちのめされたりして。後悔したりして。でも最近は、一旦インナーチャイルドとお話できるようになりました。もっともっと能動的にインナーチャイルドの言うとおりの日常になりたいです。
 


 
どうしても苦手な人がいると、関わらないようにと避けて避けて避け続けます。
そういう人ともコミュニケーションってとるべきなのでしょうか?避けて済むのならそれでいいと思ってしまう自分を嫌になる時があります。
インナーチャイルドの声を聞く気持ちになるにはどうしたらいいのか自問自答です。

 


 
最近、人との距離感を考えています。
自分と同じ物差しでひとも測ってはいけない、と思いながら、ついつい、自分が体調がよかったり、物事がうまく運んだりすると、そうでないひとに冷たい目を向けてしまっている自分がいます。20代の頃、女性が多い職場で人間関係に悩み、上司の前でこらえきれず滂沱の涙を流したことがありました。かなり問題のあるリーダー的な存在の女の子がいました。資格を持ち、一応チーフとよばれていた。上司は私に同情的な眼差しで(当時60代女性)諭すように「私の亡くなった兄が僧侶だったんだけどね。ひとの生い立ちや育った環境を考えるといちがいにその人だけを責めることはできない、と言ってたわよ。あなたの主張や気持ちは理解できる。私から見てもあの子はかなり問題はある。でも、今は彼女しかこの職場を引っ張っていける存在はいません。我慢して忍耐して、仕事と割り切ってうまくやっていってほしい。」と噛みしめるようにおっしゃいました。世の中理不尽なこと不合理なことだらけ。今でも、人間関係で行き詰まるとこの言葉を思い出します。高齢の女性精神科医がお書きになった【嫌なことノート】でしたっけ?読み終えたあと、妙に気分が軽くなりました。