
<作者さんからのコメント>
出勤途中の車道沿いにある花畑です。
10日程前のものなので、今は、紫陽花が雨の中、色鮮やかに咲いています。
少し時間がある時は、車道に停めて、眺めたりています。
苦しい時、辛い時、職場に行きたくない時は、特に癒されています。
いつも、ありのままで、咲き誇っているお花さん達を見て、自分もありのままで良いんだよねぇ、と暖かく癒されるおもいです。
そして、いってらっしゃーいと、見送ってくれてるような気分にもなります。
多分、私も、いってくるねー、と心の中で、いってます。笑
お花さん達、いつも、ありがとう。
悪の評価を、自分の価値にしない。
悪い状態を、自分のせいにしない。
依存から自立へ!
他人からの悪の評価を、自分の価値にしない。
周りで起こった悪い状態を、自分のせいにしない。
依存から自立へ認識を変化させよう。
他人からの悪の評価を自分の価値にしてしまい、周りで起こった悪い状態を自分のせいにしてしまう人が病気になるのです。
ある患者さんは、やっとアルバイトに行けれるようになりました。
それは、お菓子を箱に詰め込む作業でした。
慣れないのでなかなかうまくいきません。
3日目に、古参の女性の上司に、「わたし不器用なので、なかなかうまくできませんが、頑張ります。」と話したら、その人から「本当に不器用だね。こんな不器用な人、見たことがない。」
と言われて、その後3日間寝込んでしまったといいます。
私は、その患者さんに「その人は良い人ですか?それとも意地悪な人と思いますか?」と尋ねました。
すると、患者さんは「意地悪な人と思います。良い人ならそんな事は言わないと思います。」と答えました。
「それがわかっていたのに、その意地悪な人が言ったことを、その通り。自分はそうなのだと思ってしまったから、寝込んでしまったのよ。悪の評価を自分の価値にしてしまったから具合が悪くなったのよ!」とアドバイスしました。
また、周りで起こった悪い状態を全て自分のせいにしてしまう。これも病気になるパターンです。
例えば、子供が学校に行かない。それは私の育て方が悪かったからと自責的になってしまう親のような場合です。
この2つの例は、お互いが依存状態になっているからです。
意地悪な評価をする人は、その人自身が意地悪な人であり、その人自身の問題です。それを自分に取り入れる必要はないのに自分に取り入れてしまっているところに依存的な認識があります。
また、子供が学校にいかないのは、子供自身の問題です。それを自分の問題として背負ってしまうところに依存的な状態が生じるのです。
別の角度から考えてみると、このような依存的な認識になるメカニズムは、全てそれが起こったときに、思考で対応しようとするからです。
感覚、すなわち(うれしい)か(いや) か、で対応してみてください。
不器用だと言われたことも、ただ嫌なだけ。子供が学校に行かないのも、ただ嫌なだけなのです。自分自身が嫌だと感じているのです。
その感情を大切にしてあげることが、自分の自立につながります。
そして、自分にこんなに嫌だったんだね~~~。と深く共感して、癒してあげれば、自分自身の心の傷が癒されていき、自立していくことができるのです。そして、悪い縁に振り回されなくなるのです。
毎日毎日、少しずつ少しずつ気づきながら、自立へ自立へと成長していきましょう。
今月7月30日日曜日のオンラインセミナーは、そのような自立へのアプローチも深く掘り下げてお伝えします。
どうぞ、楽しみにしてお待ちください。
ともすると、自分の評価は、人が評価するものと思ってました。
その上、良い評価も、その評価してる人が良い人だからで、自分の正しい評価ではないと思うことがあると。
それは、何と間違ってることと思いました。
人の評価を気にすることはない。人の目ばかりを気にしてるのは、自分の人生を他人が判断することばかりで生きていたら、自分が望む人生は生きられないと。
自分というものを、もっと見つめ、どう生きたいのか、その為には、何を目標にしていけば良いか。そこには、一切人の判断を気にすることはなく、自分がどう思うかを、常に感じて行くことが最も大事と思いました。
今の自身の課題にピタッとくるお話でした。
カウンセリングで教えていただいたことを日々練習していますが、長年かかって自分を抑え込んできた冷たい先生は巧妙に罠を仕掛けてきます。抜けたかな?と思うとまた奥から湧いてくる。でもその度によし、これも全部自分で作り出した幻だ。しっかりと癒していこう!と明るく前向きに捉えることができるようになってきました。
常に、外側の現象ではなく内側へ向かうこと。
自分が嬉しいと感じるのか嫌か?これからもこのことを忘れずに本来の自分の良さを温かく見つつ進んでいこうと思います。